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ゴジカラ村という暮らしかた

ゴジカラ村とは

ゴジカラ村とは、愛知県長久手市に広がる約1万坪の雑木林の中につくられた、社会福祉法人愛知たいようの杜(特別養護老人ホーム、ケアハウス、デイサービスセンター等)や自然幼稚園、愛知たいよう幼稚園、地域交流スペース、託児所、愛知保健看護大学校などの総称エリアのことを指します。
ゴジカラ村は、人生をゆっくりと楽しみたい人たちが集まる "時間に追われない国” です。創設時の、雑木林を残したい― それがゴジカラ村誕生の理由であり、様々な世代の人たちが共に暮らし、生きる "雑木林 "のような人の共生モデルとしての多世代コミュニティは、その過程で生まれたものです。
気が付けば、1日に村を出入りする人は延べ800~900人に達するようになりました。
\ ゴジカラ村5つのお話 
01
ゴジカラ村の由来

時間に追われる国ではなく、追われない国を目指して。

「ゴジカラ」とは「午後5時から」の意味で、アフターファイブのこと。効率性や出来るだけ早くという会社の理論は5時までで、時間に追われない暮らしかたを目指したからです。
02
目指した先とは…

それぞれの場所で、それぞれの時間をのびのびと過ごせるところ

私たち、愛知たいようの杜は、誰もが役割と居場所のあった昔の暮らしが必要だと感じ、その暖かく、わずらわしい暮らしを目指しました。
手間がかかってわずらわしくて不便で思い通りにならない。だからみんなで暮らしていける。だからみんなの居場所がある。
03
利便性を求めると…

活躍できる時間を失う現代ー

ひと昔前は、今ほどモノもなく、便利な世の中ではありませんでした。そのため、近隣の地域に住む人たちで、コミュニティを作り、関係性を深め、個々では生み出せないコトやモノを、自分たちの時間と能力を出し合って、暮らしを作ってきました。
そのため、現代では仕事にもならないが、暮らしには重要なことが、数多く存在していて、誰もが自分の得意な分野で活躍するコトができました。地域の暮らしでも、職場でも、家庭でも、学校でも。
04
便利な暮らしとは…

無機質なものと向き合うコトが多い

利便性を求めることで、人々が協力した暮らしの仕事は、便利な道具やサービスにお金を払うことで解決できるようになりました。そのため、暮らしを営むのに必要なことは、人の協力ではなく、サービスを受けるための「お金」になりました。
このことで、暮らしの主役はお金になり「お金を稼ぐこと」が目的のように、感じてしまう人が多くなり、自分の暮らす時間を削って、どんどんお金を稼ぐ必要がでて、暮らすために使うはずだった時間まで、仕事に追われることになってしまいました。確かに経済の中で暮らしている時は、便利だと感じることが多くありますが、いざ「お金(経済)」の外側に出てしまった時に、とても肩身のせまい世の中になってしまったのではないでしょうか?
05
ゴジカラ村という暮らしかた


ゴジカラ村が目指した、自然と共に生きる―

経済中心の暮らし方を知る私たちが、新ためてわずらわしかった昔の暮らしを得るには、自然の近くに身を置くことの大切さを感じています。それは、お金を支払うことで大方のことが思い通りになる今だからこそ、お金の力ではどうにもできない、自然の時間の流れを感じる大切さ。自然と共に暮らすことで、多くの人の活躍の場が生まれ、関わる人みんなで力を合わせることが出来る豊かさ。
時にはわらい、時にはおこり、時にはよろこび、関わる人全員が、居場所を感じる暮らしかたが、ゴジカラ村と言う暮らしです。

もりでもーやっこ(絵本交換会・ミニ図書館)

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